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もう一度

2019-02-24
カテゴリ:ジョニオ
先日、呉に行く機会がありました。
 
呉は、かつて日本一の海軍工廠と言われた港町です。
 
それ故に、太平洋戦争末期にはアメリカ軍の爆破目標となります。
 
1945年3月~の空襲で大打撃を受け
 
軍港としての機能を完全に失います。
 
終戦までに3700人の死者を出し、その多くが一般市民でした。
 
避難した防空壕で亡くなった人も多数。
 
その悲惨な歴史資料を見学できるのが「大和ミュージアム」
呉海軍工廠で建造された
 
史上最大にして、唯一46センチ砲を搭載した戦艦です。
 
その大和の10分の1模型が展示してあります。
 
ミュージアムでは、呉の歴史について写真や当時の資料を見学できます。
 
大戦景気から戦局悪化による食糧不足。
 
焼け野原の呉。
 
言葉を失います。
 
しかし、目を背けてはいけない歴史。
 
戦争を知らない私たちが知っておかないといけない歴史。
 
若い世代に伝えていかなければならない歴史。
 
 
 
ここ長門市に空襲はありませんでした。
 
ただ、子供の頃遊んでいた山には防空壕らしきものがありました。
 
利用者さんの話にも「家の裏に防空壕掘ってたよ」と聞いたことがあります。
 
満州から博多港へ引揚げ船で帰って来られた利用者さんの話も聞きました。
 
当時を思い出させてしまって申し訳ないと思いながらも
 
涙ぐみながら話してくれる利用者さんに
 
同じ歴史を繰り返してはいけないと強く思いました。
 
 
 
亡くなった祖父は満州で通信士をしていたようです。
 
亡くなった祖母は原爆投下数日前に広島から山口に移動しています。
 
子供の頃の私は興味もなく、詳しい話を聞いたことがありません。
 
もう一度、じいちゃんとばあちゃんの話を聞いてみたいな。
 
と、ふと思う冬の日の昼下がり。
 
 
 
 
 
 
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